朝日新聞2000年12月2日 夕刊 文化欄 
「街の風」 “さらば ガングロ富士” 

*タイトルは編集部(学芸部)がつけてくれました。なかなかインパクトがありますね(^^)。
*最初に送ったのが左側の一次稿です。幾つか注文がついたので書き直して送ったのが
 右側の二次稿です。ほぼこの通りに掲載されています。厳密には0次稿もあります(^^;。
*ネットらしく、ここにはリンクをはってあります。もちろん新聞ではできないことです(^^;。

●一次稿          ●二次稿
 「あっ、富士山だ」。街角から、あるいは電車の中から富士山が見えると嬉しくてつい声を上げてしまう。
 首都圏各地では秋の終わりから空気の透明度が増し、富士山が見える日が増えてくるのだが、今年は暖かいせいか、今一つである。11月中旬には山頂部の雪がとけ夏の富士山のような姿を見せた。「ガングロ富士」と称した知人もいたほどだ。
 何かにつけ話題になる富士山だが、理由の一つは街からもよく眺められるからだろう。その国の最高峰を何千万もの人々が街中から見ることができるのは、世界一九〇をこえる国の中でも日本だけなのである。

 ところで、山地や丘陵が国土の七割を超える日本では、富士山以外にも山がよく見える。甲府や松本のような「山都」はもちろん、東京や横浜という大都市も、実は沢山の山が望める「望岳都」である。六郷土手からの南アルプスはマニアの間では有名だが、東京からは遠く苗場山や那須岳まで望見できる。山が見えない街はないと言ってよいほどだ。
 しかし、高層・超高層ビルの建設は、街の背景となっていた山並みの自然なスカイラインを幾何学的な形に変えてしまい、大気の汚染は遠くの山をますます見えにくくしてしまっている。人々は街から山が見えることを忘れてしまい、「望岳都」は「忘岳都」になってしまった。
 一方で、その高層・超高層ビルやタワーに上がれば、地上からは見えなかった景観が広がる。市街地を見下ろしながらビルの上に遠く山並を眺めるという、街ならではの山岳展望を楽しめるのだ。そうしたビルの多くは住居やオフィスになっているから、居ながらにして山岳パノラマを楽しめる人もいるわけだ。
 私はインターネットプロバイダのアット・ニフティ「山の展望と地図のフォーラム」に参加しているが、この時期「会議中も窓の外が気になって仕方ない」「無理に用事を作り窓側に行った」などの報告を目にすることがある。身に覚えのある同好の士もおられるのではないだろうか。

 今、中高年を中心に登山がブームである。登り着いた山頂からの眺めは格別だが、街からの山岳展望も山の楽しみ方の有力な分野の一つになっている。その背景には、パソコンの普及があるだろう。上記の集まり自体、パソコン通信が母体となっており、会員は四万人を超えている。毎日数十名がそれぞれの街から富士山の見え方を報告し合う「富士見日記」は、ネットならではの企画であり、整理すれば気象学的にも意味のある資料になるだろう。
 また、篤志家が作成した無料で使える山岳展望ソフトの存在も大きい(杉本智彦さん作成の「カシミール」が有名)。これを使えば、晴雨に関わりなくディスプレイ上で山岳展望が楽しめ、気になっていた山の名も簡単に判定できる。今はまだ建物の要素が入ってないが、その内に、ビルとビルの間に見えるのは何々山ということを、パソコンが教えてくれるようになるかもしれない。

 しかし、基本はやはり現地に行き自分の目で眺めることだ。忙しい毎日だが、通勤電車も立派な街の「展望台」として使える。私は横須賀線を利用しているが、お目当ては横浜〜新川崎間の富士山と南アルプスだ。幸い見えれば今日も頑張ろうという気になるし、見えなければ明日こそは、という期待が生まれる。
 街から見る山は元気の源である。その点で大変残念なことがある。都内にある二十近い富士見坂から唯一すっきりとした姿が望めた西日暮里からの富士山が、ある不動産会社が建設したマンションによって左側半分を隠されてしまったことである。「21世紀に残したい日本の風景」にも取り上げられた景観が、21世紀を目前にして消えてしまったのだ。街から見る山、特に富士山はかけがえのない財産である。21世紀の町並みの整備にはぜひ、山を見る、という視点を入れて欲しい。街から見る山は、私たちの暮らしを、心を豊かにしてくれるのだから。
     「あっ、富士山だ」。街角から、あるいは電車の中から富士山が見えると嬉しくてつい声を上げてしまう。
 首都圏各地では秋の終わりから富士山が見える日が増えてくるが、今年は暖かいせいか、今一つだった。11月中旬には山頂部の雪がとけ夏山のような姿になり「ガングロ富士」と称した知人もいたほどだ。それでもここ数日ようやく白く化粧をした姿を見ることができるようになった。
 その国の最高峰を何千万もの人々が街中から見ることができるのは、世界一九〇をこえる国の中でも日本だけである。何かにつけ富士山が話題なる理由の一つでもある。ちなみに最も遠くから見える場所は和歌山県の妙法山で、その距離323q。これはギネスブックに掲載されてもおかしくない記録である。

 ところで、山地や丘陵が国土の七割を超える日本では、富士山以外にも山がよく見える。甲府や松本のような「山都」はもちろん、東京や横浜という大都市も、実は沢山の山が望める「望岳都」である。六郷土手からの南アルプスはマニアの間では有名だが、東京からは遠く苗場山や那須岳まで望見できる。山が見えない街はないと言ってよいほどだ。
 しかし、高層・超高層ビルの建設は、街の背景となっていた山並みの自然なスカイラインを幾何学的な形に変えてしまい、大気の汚染は遠くの山をますます見えにくくしてしまっている。人々は街から山が見えることを忘れてしまい、「望岳都」は「忘岳都」になってしまった。
 一方で、その高層・超高層ビルやタワーに上がれば、遠望がきくようになり、地上からは見えなかった景観が広がる。横浜のランドマークタワーの展望室からは計算上では195q先に、福島県の観音山(那須茶臼岳の北)が見えることになる。こうしたビルから居ながらにして山岳パノラマを楽しめる人もいるわけだ。
 私はアット・ニフティ「山の展望と地図のフォーラム」(会員約四万人)に参加しているが、この時期、「会議中も窓の外が気になって仕方ない」「無理に用事を作り窓側に行った」などの報告を目にすることがある。身に覚えのある同好の士もおられるのではないだろうか。

 この集まりには、数十名が毎日それぞれの街から富士山の見え方を記録し、月ごとに報告し合う「富士見日記」がある。同じ日でも場所により見え方が違うこともあり、整理すれば気象学的にも意味のある資料になるだろう。他にも、男体山や御嶽山、常念岳、更には佐渡島などの見え方の記録をつけている人もあり、ネットならではの企画といえよう。
 山岳展望を楽しむ人が増えている背景には、篤志家が作成した無料で使える山岳展望ソフトの存在もある(杉本智彦さん作成の「カシミール」が有名)。これを使えば、晴雨に関わりなくディスプレイ上で山岳展望が楽しめ、気になっていた山の名も簡単に判定できる。その内に、ビルとビルの間に見えるのは何々山ということを、パソコンが教えてくれるようになるかもしれない。

 しかし、基本はやはり現地に行き自分の目で眺めることだ。通勤電車も立派な街の「展望台」になる。私は横須賀線を利用しているが、お目当ては横浜〜新川崎間の富士山と南アルプスだ。見えれば今日も頑張ろうという気になるし、見えなければ明日こそは、という期待が生まれる。街から見る山は元気の源である。
 その点で大変残念なことがある。都内にある二十近い富士見坂から唯一すっきりとした姿が望めた西日暮里からの富士山が、ある不動産会社が建設したマンションによって左側半分を隠されてしまったことである。「21世紀に残したい日本の風景」にも取り上げられた景観が、21世紀を目前にして消えてしまったのだ。街から見る山、特に富士山はかけがえのない財産である。21世紀の町並みの整備にはぜひ、山を見る、という視点を入れて欲しい。街から見る山は、私たちの暮らしを、心を豊かにしてくれるのだから。

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