●地教研機関誌『地理教育』第27号 原稿  1998年3月27日
       (1998年6月刊行)

地図の効用と限界

 編集部から届いた原稿依頼題目は「地図の効用と限界(記号、軍事、地政学)」だった。電話で話した段階では( )
内の限定はなかったように思うので、メインタイトルはそのままとするが、( )内については拘らず、書かせていただ
くことにする。以上弁解的前置。


一章 地図は何の役に立つか


 個人レベルでは、地図は一体何の役に立つだろうか(地域調査や住宅建設など実務で地図が不可欠というケースを除く)
そのためにはもし地図がなかったら、と考えればよい。地図のない世界はありえないので、これはあくまでも「思考実験」
ということになる。


1 目的地までのルート確認


 地図がないと何かと不便だろうが、一番困るのは、自分がどこにいるか分からず、目的地まで行けない。これにつ 
きるだろう。
 安全に、迷うことなく、より短い時間で目的地まで到達するには、目的地までの全体像が把握できていないといけない。
すでに分かっている場所ならともかく、初めての場所を訪れる時に、地図なしにでかけることはまずありえないだろう
実際には、登山においても、地図を持たずに出かける人が多いのは、現地に行けば道案内・標識がある<現地で地図を見
る事ができる>、人に尋ねればよい、あるいは他の人の後をただついていけばよい、というケースが多いからである)。
 こう考えると、地図教育の、実用的な目的の基本は、まずは大縮尺の地図を読めるようにすること、とりわけ、現在地
を確認した上で、目的地に行くにはどのルートをとればよいかが分かるようになる力を養うこと、にあるといえるのでは
ないだろうか。 
 地図理解の出発点として、現在地の確認、現在地と地図との照合ができるようになること、が不可欠となる。
 このことを念頭において、各種地図の読図指導がなされるべきと考える。

2 読図指導のありかた


 地形図の場合は、等高線の読み方が大きな特徴になる(等高線は、登山用の地図を除いて他の一般の地図にはほとんど
記されておらず、地形図ならではのものである)。地図の指導=地形図指導であり、等高線を使った諸々の作業(断面図、
段彩図の作成)の煩雑さが地図嫌いを増やすという指摘もあるが、その作業の目的が明示されており、作業の結果、それ
なしでは分からなかった何かが明らかになるなら、効果は十分あったと言えるだろう。往々にして、作業自体が自己目的
化されてしまうことが問題なのである。
 ここで付言しておくと、地形図の読図指導で難しいのは、到達目標をどこにおくか、ということである。小文において
は、現在地および目的地までのルート確認という低い目標を前提にしているが、その気になれば、一枚の地形図から非常
に多くの内容を読み取る事が可能になる。ただ、そのためには地形、地質、歴史等など広範な知識を持っていることが前
提になる。例えば鈴木隆介『建設技術者のための地形図読図入門 第1巻 読図の基礎』(古今書院一九7七年)第1章
参照(同書のタイトルに「建設技術者のための」とあるので、敬遠している人がいるかもしれないが、地図に関心のある
地理教員には必携の書である)。その前提知識を持たない段階で、一種職人芸ともいえる読図を強いてきたのが今までの
読図指導だったのではないだろうか。
 一般の地図の場合、自明の場合が多いが、記号や注記についての見方について触れる事になろう。
 縮尺を考えれば全ての地物を表現できない。省略があること、その一方で誇張もあること、さらに総描という重要なテ
クニックが用いられていることを具体的に示す事が必要である。


3 現地との照合が難しい理由


 こうした作業等を通して現地との照合を行うのだが、それが必ずしも容易でない理由はどこにあるだろうか。
 まず地図の側からすれば、必要以上に省略が過ぎている場合がある。いわゆる略図の場合を考えてみるとよい。
 現地に行けばいやでも目に入るランドマークが、地図に記載されていない場合も同様である。
 これらのことは分かりやすい地図を描く場合のポイントでもある。既成の地図を批判的に検討する事は、自ら地図を描
く際の指針にもなる。
 ところで、地図と現地との照合が難しいのは原理的には当然とも言える。地図は真上から見た形を描いたもの(正射影)
であるのに対して、われれはそれを「横」から見ているからである。一旦頭の中で座標変換をしなければならないから難
しいのは仕方ないのである。
 さらに、対象自体、つまり、日本の町並み、道路網そのものが複雑であることも大きな原因になっている。それに輪を
かける地番の付け方の分かりづらさ。
 地図(ここでは市街図を念頭に置いている)の分かりづらさは複雑で分かりにくい現実の投影に他ならない。


二 絵、図としての地図

 一章では、実用的な立場から地図を考えた。しかし、地図には別の側面もある。地図が世界観を示すというものである。

1 世界観を示す地図

 以下は、教育出版教科書地理Aに書いた原稿である。
 

地図は、実用的な面をもつばかりではなく、その時代の人々の世界についての認識を表現するものであった。そのことは各種の古地図から知ることができる。たとえば、現存する最古の世界地図は、居住地中心の限られた世界を描いたもの
であった。中世のヨーロッパには、代表的な世界地図としてTO世界地図といわれるものがあった。これは聖書の記述に
よって、球面ではなく平面としての地球を描いたもので、宗教的な世界観を反映するものであった。また、現代の科学的
な地図のなかにも、図中に作製者の自己主張が強くあらわれているものがある。
 このように、わたしたちが日常生活で見慣れている地図も、地域や時代、人々の意識を反映したものということができる

 世界観の反映として地図を捉らえるという視点は重要であり、特に最後の行は強調したい点であるが、過度の強調がな
されると誤りになってしまう。


2 「地図決定論」に陥らないように

 現代の地図は一般的に北を上に描いてあるが(その理由を明確に述べる事は難しいようだ。これについて答えた書物の
説明はいずれも歯切れが悪い)、オーストラリアやニュージーランドの土産物として売られている地図に、南を上にした
ものがある。これをもって「上下(南北)が逆さまになると、見慣れた世界がこんなにも違って見えることに驚く。南半
球の諸国、太平洋の島々の存在を改めて強く意識させらえる思いがする」(猪狩章『新ものの見方考え方 「逆さ地図」
からの発想』ビジネス・アスキー)という評価がある。
 この地図はミラー図法で描いた世界地図の天地を逆にしただけのものである。
 著者の気持ちは分らないでもないが、地図に明るいはずの地理の教師までがこれを過大に評価するのは考えものである。
 地球儀を見ればすぐに分かることであり、この地図が南北問題を解決するわけではない。世界認識に変革をもたらすわ
けでもない。今まで見慣れた世界地図とは異なるだけの話である。
 
 こういう地図を使うことによりあたかも何かが変るかのように言うことは、現実の投影に過ぎない地図に対して必要以
上に重荷を持たせる事になろう。地図が世界を決めてしまう「地図決定論」「地図絶対主義」と言ってもよいだろう。こ
れは私の造語であるが、イメージはお分り頂けるだろうか。地図を過大評価しないで欲しいという主張を込めている。地
図が世界を作るのではない。世界が地図を作るのである。

3 絵としての地図


 一般的には、特に地理学研究において地図はどのように位置付けられているか、眺めておきたい。
 『地理的情報の分析手法』(古今書院一九八七年)から該当の箇所を引用する。
 

地図の基本的な目的は、事物の空間的関係と形態を伝えることである。したがって事象の空間的関係を研究対象とする地理学にとって、地図は地理学の基礎であるということもできる。 地図は事象の空間的関係を表現する手段であると同時にそれを分析する手段でもある。事情の分析・傾度・密度の空間的関係を明らかにするためには、地図は不可欠である。実際に地理学的調査をする場合、地図は調査対象とする地域に関する一般的情報を与えてくれるし、入手できる地図をよく読めば、その地域の地理的事象を把握することが可能である。さらに、調査の過程では、事象の分布を表わした地図を直接分析したり、仮説や中間的な結論を図示し、言葉や数では表現できない空間的特色を明確に表現することを可能にするものである

 教科書的な、まずは妥当な説明だろうか。「分析する手段」という箇所が気になるが、一応慎重な書き方になっている
ようだ。というのも、しばしば地図を用いるのが地理独自の研究・分析方法であり、地図にすれば何でも分かる、といわ
んばかりの「絶対主義」的な表現にお目にかかることもあるからである。それに比べれば抑制的な表現と言えよう。
 ある事象を地図表現して(特に分布図)初めて見えてくるものが本当にあるのだろうか。地図にすれば印象が強まる、
という程度ではないのだろうか。
 疫学的調査に地図が有効であることは分かる。というか不可欠である。自然科学的因果関係は明瞭に解明できていなく
ても、とにかく分布状況から要因をつきとめるには、地図にしていくしかない。しかし、それ以外の場合、分布図にして
初めて分った、ということはまずないのではないだろうか。
 イスラム教徒の分布と豚の飼育地域の分布は、見事に重ならないという意味で、この分布状況を見せるのは、教育的効
果としてはある。しかし、それはいわば当然のことを示したまでであって、地図を使わなければ見出せなかったことでは
ない。
 地図は絵である。図である。特に主題図は、感性に訴える要素を多くもつので、その点の効用が強いのである。「宣伝」
「プロパガンダ」に役立つと言った方がよいだろうか。
 最近の例では、アメリカ海兵隊のホームページに面白い例がある。世界の海兵隊の基地がある地域を地図にしたもので
ある(図1)。アドレスは次の通りである。
 

      URL=http://www.hqmc.usmc.mil/marines/2932/map.jpg   455KB(ちょっと時間がかかるかもしれません)


 この地図では、メキシコ湾に、意図的かどうか、米本国より縮尺を小さくした日本列島が置かれている。外国に海兵隊
の基地があるのは、日本だけということもわかる。日本がアメリカに従属した、主権のない国であることを訴えるには格
好の地図であろう(作成者はそのような利用のされ方をするとは思っていなかっただろうが)。
 地域分析云々よりも、理性では分っていることを感性に訴え、理解力(納得力?)を深める働きをするものが地図であ
る、という点を強調しておきたい。
 これはいわゆる「メンタルマップ」も同様である。 
 地理の授業の導入の際に、生徒に何も見ないで世界地図を書かせる。アメリカやヨーロッパはそれなりに正確な形にな
るが、アフリカなどは極めて雑な形にしかならない。それをもって生徒の地理的認識をはかろうとするものである。
 私もしばしば行ってきたが、最近はこういう方法がどれだけ有効か疑問に思っている。入ってくる情報が欧米偏重であ
り、教科書の記述も大国中心主義であれば、居住地(国)周辺および欧米が詳しくなるのは当然であろう。分っているこ
とを「地図もどき」で再確認しただけに過ぎないのではないだろうか。そもそも、絵心がなければ、分かっていてもうま
く書けないことがある。地理の教員だってどのくらい書けるか知れたものではない(と言うのは言葉が過ぎるだろうか)。


三章 依然として誤りの多い地図(啓蒙)書


 貴重な誌面をさいてあえてこの章を立てたのは、「地図の効用と限界」以前の問題として、地図についての解説書、啓
蒙書(専門書に近いものも含まれる)に依然として誤りが多いからである。
 概して地理、地図関係の専門書は一般書店で見かけることが少ない。目につくのは、こうした面白本的な解説書である。
 杜撰な内容のまま出版が続くのは、それに対して意見・苦情がこないのも一つの理由ではないだろうか。意見がつかな
い理由は、地図の専門家の絶対数が少ない、そもそも専門家はそうした本を相手にしない、気づいた人も本なんてそんな
もの(いい加減なもの)という諦めがある。色々な理由が考えられるが、まずは気づいた者が何らかの形で声を上げる、
という実践が必要だろう。
 と言うことで、最近の例を一つだけご報告しよう。

●ロム・インターナショナル『学校では教えない 世界地図
の楽しい読み方(ビジュアル版)』(河出書房新社 一九九八年 本体九五二円)。ビジュアル版とあるように、写真を
多用した、いわわゆるムック形式の本である。
 パソコン通信ニフティサーブ「山の展望と地図のフォーラム」上で指摘したが、地理、地図に関する出版物としては信
じられないミスもある。
 例えば次の様である。原文のまま。

*15の共和国からなる独立国家共同体
*メルカトル図法は、両極が拡大され、熱帯地方が縮小された形
*「赤道直下は地球上で最も暑い」というのは、常識である。 なかでも一番暑いのは、サハラやアラビア砂漠のある中
 東や、北アフリカあたり。
*じつに331km。東京から静岡までたどり着く距離だ。
*(地中海性気候は)、緯度30〜40度の南北アメリカ大陸、オーストリアの西岸にもみられる。

 どこが誤っているか解説は不要だろう。
 なお、「赤道直下」は一般にも使われており疑問に感じない方もあろうが、よく考えれば(考えなくても)おかしな表
現であるので、使わないようにしたい。赤道は天空にあるのではなく、あくまでも地球上にあると想定した線である。赤
道上とすべきであり、赤道直下では地底(海底)になってしまう。これは最近の教科書検定のチェック項目にもなってい
るので、教科書で見かけることはなくなったと思うが、用心
したい表現である。
 同書は、本文だけでなく、地図そのものもひどい。中東地域の白地図に、かつての中立地帯が描かれ、そこがクウェー
トとされている。本来のクウェートにはバーレーンとなっている。
 地図投影法についても誌面をさいているが、本文同様粗雑である。オリジナルに描いた図でないことは確かで、線はい
 かにもコピーらしく切れていたり、不自然な描画になっている。
 編者のロム・インターナショナルは、河出書房新社から文庫本で『日本地図の楽しい読み方』『世界地図の楽しい読み
方』を出している。だから「ビジュアル版」と銘打っているのだが、文庫本の方にもひどい記述がある。
 例えば、北八ヶ岳の縞枯現象は、ジェット気流があたるため生じたとしているのだから、憤懣ものと言ってよいだろう。


***


 今回はテーマから外れるので記さなかったが、パソコン通信やインターネットは地図利用、地図に関わる情報交換の上
でも非常に有効である。インターネットを始めてみたいという人も多いだろう。通常はプロバイダと呼ばれる接続会社に
加入する必要がある。上記「山の展望と地図のフォーラム」があるニフティ今はインターネットのプロバイダの一つであ
る。これを使えば、いわゆるホームページを見るだけでなく、電子会議室からなる「フォーラム」も利用できる。どのプ
ロバイダにしようか迷っている方にはお薦めしたい。
               

●十年一昔 以上前の(^^;地図論争です。

 すでにFYAMAPなどでご紹介したことがありますが、今回、ホームページ収録にあ
たり、地図を1枚だけ載せることができました。少々長いですが、興味のある方はご
らんになって下さい。


間違いだらけの地図論


                              1986年4月
                              編・田代博
 
  以下は「朝日ジャ−ナル」誌上の投稿欄において、1985年9月から1986年1 
月の間断続的になされた「地図論争」をまとめたものである。字数制限がある
ので、掲載された内容は、少なくとも編者の場合、投稿原稿が一部カットされ
ている。その点、あらかじめ御了解いただきたい。            
 
 ・・論争の経過・・
 「朝日ジャ−ナル」1985年9月6日号の特集「続・間違いだらけの軍事論」の
佐瀬氏(防衛大教授)と国尾氏(国際問題評論家、ペンネ−ム)の論争−−−
ミサイルの飛行をめぐる問題等−−−において、地図が重要な役割を果たして
いるにかかわらず両者ともに地図についての理解がないことに驚き、編者が投
稿(投稿1)。   
 尚、投稿1が掲載直後(編者はまだ掲載誌を入手していない時点)に、朝日
新聞社外報部次長の小川という人物より電話があり、あの投稿は何だ、国尾氏
は私の友人だが失礼ではないか、名誉棄損だ、アメリカなら裁判ものだ、等と
いう「非難」の電話があった。一日おいていかに地図認識がないか(誤ってい
るか)という点を小川氏にるる説明。非礼な電話に対しても改めて抗議する。
当初は正体のわからない国尾氏(執筆者には略歴、生年等の記載があるのに、
国尾氏は「国際問題評論家」とあるのみで、年齢すら記載がない。投稿欄で初
めて50代ということがわかる)というのは、実は小川氏のことかと思えるよ
うな氏の対応であった。


 2週間後、国尾氏からの反論(投稿2)。  
 地図そのものについての認識は依然として正しくなされていないので、編者
が再度提起(投稿3)。 
 その約1月後、まさしく逆上したとしか思えない表現、内容で国尾氏が再反 
論(投稿4)。佐瀬氏からは一切反論は無し。
 この間、「朝日ジャ−ナル」の担当者、伊藤正孝氏(『南アフリカ共和国の
内幕』などの著者)と必要に応じて連絡をとっていたが、これ以上だと泥仕合
になるので、お互い2回ずつの掲載で終りにしたいという連絡を受ける。ただ 
し、地図のわかる人に客観的に判断してもらいたい、という意向があったので、
依然からこの論争にも関心をもっていた筑波大附属高校(現琉球大学教授)の
高嶋氏に第三者として、この論争を総括してもらうことになる(投稿5)。          
                 
 尚、投稿4はひどい内容であり、事実関係も誤っているので、そのままでは
私自身の名誉にもかかわるため、編集部の意向はそれとして、3回目の投稿を 
行なった。やはり「ボツ」にはなったが、それを資料として掲げてある(資料
1)。   
 

》投稿1(1985年9月20日号)(田代)


 
「間違いだらけの」地図論

 本誌九月六日号の「続・間違いだらけの軍事論」の佐瀬、国尾論争を興味深
く読みそしてあきれてしまった。それは、パ−シング2の射程距離をめぐる議
論についてであり、あきれたのは二点ある。一つは「射程一八○○キロのパ−
シング2が、大圏コ−スを飛べばモスクワに届く」かどうかが、“軍事専門家”
の間で、こんなに大変な論争になるのかということと、もう一つはその論証と
して用いられている地図についてご両名とも、基本的な理解が無いらしいとい
う点である。 

 第一点目からいえば、「球面三角法」の余弦定理により地球上の二点間の距
離は、経緯度から求めることができるのに、専門家が何をやっているのだろう
ということである。私の計算では、若干の誤差はあると思うが、例えばモスク
ワとミュンヘン間は一九五七キロ、東独との国境に近いホフという都市との間
は一八○七キロとなった。チェコとの国境付近にはもう少しモスクワ寄りの地
点もあるので、一八○○キロの射程距離内にあるとはいえるが、これは地上の
距離であり、誠に微妙な位置にあること確かである。国尾氏があえて断言され
る「物理的事実」はどのような数理的根拠に基つくものなのか、知りたいもの
だ。

 第二点目がもっと重大だ。
 まず、佐瀬論文から。「国尾氏が依拠する証拠図面」の地図を「いわゆるラ
ンベルト図法によっている」とされているが、これは正しくない。この種の図
法は、一般的にはその性質から「方位図法」と呼ばれている。ランベルトは一
八世紀の数学者で、彼の名をつけた図法は幾つもあるが、「方位図法」を「ラ
ンベルト図法」と通称することは無い。

 次に、国尾氏が地図を拡大したことに対する批判について、批判は当然であ
るが、その計算がおかしい。なぜ○.三ミリが三○キロか。どのようにしてこ
の値を出したのか。そもそもこの地図は正距図法ではないので、「平面円の直
径はわずか一○センチ。換言すると」と簡単に出せるものではない。厳密にい
えば場所によって縮尺はすべて異なるのである。

 では、国尾論文はどうか。
 「ジュニア・ハイスク−ル」の地図帳の解説に本当にランベルト正積方位図
法は「広い範囲でも地形のひずみは小さい」とあるのだろうか。球を平面に投
影するのだから、どの地図にも必ずひずみはある。しかも一般的に周辺部ほど
それは大きい。くだんの地図でオ−ストラリアあたりがどう表現されるか想像
されてみるとよいだろう。佐瀬氏も地図のひずみを理解した上での立論ではな
いと思われるが、それに対する批判にはなっていない.

 このところ「地政学」がブ−ムで、「世界地図の」という書物もよく
見かける。しかし、肝心の地図についていい加減なものも多い。地理(地図)
教育に携わる者として苦々しく思っていたところへ、本誌においてもこの状態。
思わず筆をとった次第である。
 
 

》投稿2(1985年10月4日号)(国尾)


 
「『間違いだらけの』地図論」は意図不明」

 九月二〇日号の本欄に載った「『間違いだらけの』地図論」で私に対する田
代博氏の言いがかり的批判にはあきれて開いた口がふさがらない。
 田代氏はまず、佐瀬教授の「パーシング2は西独東部から発射してもモスク
ワに届かない」という説を私が否定する「数理的根拠を示せ」と居丈高だ。

 善意に解釈しても、田代氏は拙稿をよく読んでいないのか、佐瀬教授と私の
論争をまったく理解していないのだ。私は本誌五月二四日号で、ミサイルが飛
ぶ大圏距離を計算すると、キール、ハンブルクといった西独東北部からはモス
クワがパーシングIIの公称一八〇〇キロの射程に十分収ると指摘している。こ
の地方では国境から四、五十キロ離れた地域でもモスクワまでの距離は一八〇
〇キロ以下なのだ。
 どうしてこれが十分な数理的、物理的根拠にならないのか。裁判でいえば、
明々白々の証拠ではないか。

 それなのに、田代氏はこの指摘を全く無視し、公称射程外だと分り切ったミ
ュンヘンを持ち出し、モスクワから一八〇〇キロの弧と国境との差が狭いホフ
にのみ言及しているのだ。もっとも田代氏は自らの計算によっても、ホフ東方
には、モスクワへの距離が一八〇〇キロ以内の地域があると認めている。その
地域は国境沿いに数十キロある。

 ところが田代氏は何を思ったのか、「これは地上の距離であり、まことに微
妙な距離にある」と書いている。「地上の距離」を強調するからには、「地上
の距離」よりミサイルの飛行弧の方が長いから、このへんからだと、モスクワ
はパーシング2の公称射程距離に入らないのではないかといいたいようだ。つ
まり、田代氏は、射程とは飛行弧のことだと思っているのだろう。

 田代氏は地理の専門家らしいから、こんなことを知らないとは信じがたいが、
ミサイルの射程は球面三角法で求めた地上の二点間の距離、つまり大圏距離そ
のものなのだ。ホフ周辺からでも、モスクワはパーシングIIの公称射程に収ま
る。すこしも微妙なところはない。

 次に、田代氏は佐瀬教授ばかりでなく私に対しても、「地図についての基本
的理解がないらしい」と決めつけている。失礼ではないか。地図にゆがみのあ
ることぐらい小学生でも知っている。今回の論争で、正確な距離は地図上で測
っても得られない、と主張したのは私だった。

 また田代氏は、私が持ち出したランベルト正積方位図法の解説は「本当にあ
るのだろうか」とお尋ねだ。米国の地図では調べようがないというのであれば、
日本の文部省検定済み教科書と銘打った帝国書院の『中学校社会科地図』など
を見てほしい。そっくりの解説が日本語で書いてある。
 的を射た批判は大いに歓迎したい。だが、何をいいたいのか分からない道化
芝居はご免だ。



》投稿3(1985年11月1日号)(田代)


「間違いだらけの地図論」の意図は明確
 
 九月二〇日号本欄に私が書いた「『間違いだらけの』地図論」に対する国尾
達氏の見解(一〇月四日号)について何点か述べたい。まず射程距離について。
氏の「数理的根拠」はわかった。しかし、「明々白々の証拠」であり、少しで
も一八〇〇キロ以内の場所があればよいのであれば、地図をもちいた議論は一
切不要ではなかったか。「物理に強い友人に計算を頼んでみた」(五月二四日
号)その内容・過程を明確に示せば、佐瀬昌盛氏との論争はもっとスッキリし
たものになっただろう。
 「地上距離」については、“マイル論争”までなされているので、念ため記
したまでだ。

 私の投書の目的は、地図についての理解、使い方が不十分であり、誤りが多
いことを指摘することであった。そのことに国尾氏は大変ご立腹のようである。
誌面の関係もあって拙稿では直接には一点しか述べてないが、他にも随分問題
がある。例えば「大きな縮尺の上で正確な距離を測るのは難しい」(九月六日 
号)とされていること。このような地図の場合は「小さな縮尺」といわねばな 
らない。縮尺の基本概念に関わることであり、ちょっと筆がすべったでは格好
がつくまい。

 さらに、地図は図法により利用法が限定されているのに、距離が正しく表現
されない正積図法の上で距離に関する作業をしようとするのは(「ミサイルの
射程弧とモスクワの関係の見当をつける」)、原理的に誤っている。
 また、例のジュニア・ハイスクールの地図帳の解説として、ランベルト正積
図法を「大圏コースは直線で示される」とあるが、原文通りの訳だとすれば、
これは不正確だ。そういえるのは中心からだけであり、このように一般化した
表現は心射図法以外には不適当である。

 もう一点。カ−ネギ−平和財団の地図を佐瀬氏へ論証として掲載されている
が、本当にこの地図が「モスクワが星印で記され、パ−シング2の射程を示す
孤の破線が星にかかっている」(五月二四日号)といえるだろうか。ギリギリ
だがモスクワは射程外と見るのが自然だろう。(地)図の見方が随分“オオザ
ッパ”といわざるをえない。

 こうしてみると「ランベルト正積図法」について「ひずみ」の質問は適切で
はなかったようだ。「あるのだろうか」に対して、中身の理解に関わらず似た
表現を示されればそれで終りになるからである。確かに「かなり広い範囲でも
形のひずみは小さい」という表現はある。しかしそれは形のひずみが不可避の
正積図法中で、地図の中心から一定の範囲ではひずみを小さいものとして考え
ることができるということで、今回の北極中心の地図において、この解説をそ
のまま示したところで佐瀬氏への有効な反論にはならない。

 議論や証拠に地図を用いるなら、地図についての「基本的な理解」をしてか
らにせよ、というのが私の主張である。
 


》投稿4(1985年12月6日号)(国尾)


 背筋が寒くなる地図論
 
 一一月一日号の本欄に載った田代博氏の再度の投書に背筋が寒くなった。
 田代氏は最初の投書で、私が佐瀬昌盛防衛大教授の主張を否定する根拠を示
せと、薮から棒に噛みついてきた。

 あきれたが、私は五月二四日号の本誌で、すでに根拠は示してあると指摘し
た。田代氏が礼節をわきまえた人なら、相手の主張を読まずに見当違いの誹謗
を浴びせた論争では初歩的で致命的な失策を詫びるところだろう。だが、田代
氏は「根拠は分かった」とうそぶくのみだ。

 そればかりか自分の失敗を糊塗するために、今度は私の根拠が不十分だと執
拗に言い出した。しかも、けちをつける理由がないため、私の主張を無視した
り、ねじ曲げる鉄面皮ぶりだ。たとえば、私が「ミサイルが飛ぶ大圏距離を友
人に計算してもらった」と書いたのを、肝心の大圏距離という部分を抜いて引
用する始末だ。

 田代氏の初めの投書には、佐瀬教授ばかりか私にも地図の基本的知識がない
という批判(私に関してはデッチ上げの中傷)があった。
 私が佐瀬教授との論争で引用した米国のジュニア・ハイスクールで使ってい
る地図帳のランベルト正積方位図法の解説が不正確で、この解説を引用するの
は地図を知らないからだというのだ。そんあ解説があるのか、と嘘つき呼ばわ
りまでした。

 これまた前の反論の投書で、私の引用とそっくな解説が文部省の検定済み地
図帳にもあると指摘した。田代氏は、間接的に、日本の教科書が「不正確だ」
と検定官に食ってかかる奇妙な窮地に陥ってしまった。
 田代氏の悲劇は、他人は地図をしらないという思い上がりにある。田代氏の
独善ぶりを示す例を一つだけ挙げておく。

 九月六日号の本誌に載せたカーネギー平和財団の地図について、私は「パー
シング2の射程弧はモスクワを示す星印にかかっている」と書いた。再度の投
書の中で田代氏は、まさに病膏盲に入るのだが本当だろうかといっている。
 田代氏が自らの重なる失敗に取り乱すのは無理もない。だが、地図を作った
専門家たちが「かかっている」と説明しているのに、そんなはずはないという
のは、異常というべきだ。
 
 

》投稿5(1986年1月3-10日号)(高嶋伸欣)


 地図論への反論は公正さと正確さを
 
 本誌の「間違いだらけの軍事論」(五月二四日号、九月六日号)の国尾・佐
瀬論争で気になる点があった。それは両氏とも地図と図法に対する正確な理解
を欠いていると思われたことだった。
 それに対して田代博氏の批判が本欄に現れ、国尾氏との応酬が続いた。

 国尾氏は、田代氏が「物理に強い友人に計算を頼んでみた」その内容・過程
を明確に示せば、佐瀬氏との論争はもっとスッキリしたものになっただろうと
指摘したのを不当な言いがかりだとしているが、そうだろうか。私も五月二四
日号でこの引用部分を読んだ時に、もう少し具体的に説明がないと「友人」に
よる作業についての検証はできないままに議論が進むことにならないだろうか、
という疑問を感じていた一人である。

 また国尾氏は、カーネギー平和財団の地図の読み取り方で、田代氏が射程弧
はモスクワの星印の左側をかすめているように読みとったと主張したのに対し
て、それは田代氏の独善でありまさに病膏盲に入るのだとした。だが、それま
でに国尾氏が「射程弧はモスクワを示す星印にかかっている」と主張した論拠
もまた、同氏の読みとりによるものとしてしか提示されていない。

 私自身、高校の地理教科書の執筆を何度か経験しているが、このように星印
に弧がかかる内容の場合には弧の線を中断させて星印をはめ込むようにデザイ
ナーに注文している。九月六日号二五ページの拡大図を見る限りでは、ますま
す田代氏と同じ読みとり方になるのが自然だ。

 ここで国尾氏は、その決めつけの根拠として突如「地図を作った専門家たち
が『かかっている』と説明しているのに」と言い出している。このような重要
なことをこの場になって初めて持ち出すようでは、国尾氏の資料提示の方法は
公正さに欠けていることになる。

 さらに国尾氏は日米の中学校の地図帳の図法解説を根拠に反論を続けている。
この場合、国尾氏は教科書は専門書でも自習書でもなく、あくまでも授業のた
めの主たる教材で、その記述は教師の補足説明や生徒自身の思考を促進するた
めに、意図的にはしょっていることがあるのを見落している。

 小縮尺(大きな縮尺ではない)の地図上で正確に方位や距離が読みとれるの
は、作図の際の中心点もしくは中心線にかかわるものに大部分は限られる。

 結局のところ、国尾氏二点間の距離が正確には描かれない正積図法の地図で、
距離がらみの二点間の位置関係に関する厳密な論証を試みるという無謀なこと
をし、その方法の正当化に際しては、専門書でもない教科書の記述の限界を見
落すという誤りを犯している。
 佐瀬・国尾両氏には改めて正確な事実と公正妥当な手法による論争を望みた
い。
 
                       


》資料1(投稿4に対する反論)


ゾッとする「背筋が寒くなる地図論」
 
 ゾッとする、何故かくも居丈高であり、品性のない文章なのか。一二月六日
号の国尾氏の私の投書に対する非難の率直な感想である本欄の論争が楽しみと
いう友人もいるが、同一テ−マで三たびの投稿というのはいささか気がひける。
しかし、作為的な引用による論理のすりかえやゴマカシにより、人格に関わる
といってもよい悪罵をなげつけられ、かつ教科書に関する問題もあれば、教科
書の著者の立場からも、意見を述べざるをえない。 
 
 その一。射程距離の問題について。二回目の投書の引用文がどうして鉄面 
皮ぶりになるのか。「 」でする引用が、誤字を含めてそのままなされなけ 
ればならないのは物を書く際のイロハであり、まして論争なら尚更慎重でなけ
ればならない。本論を無理なく修飾するように氏の書いた通りの引用をしてい
るのがおわかりにならないのか。どこに「ミサイルが飛ぶ大圏距離を友人に計
算してもらった」(一二月六日号)と書いてあるというのか。あればそのよう
に書いただろう。「大圏距離」を省く必要性など何もない。勝手に文章を作り
かえておいて、「肝心の大圏距離という部分を抜いて引用する始末」とは、逆
上のあまり自分の文章もわからなくなったとしか思えない。        
 
 その二。ランベルト正積方位図法について。 ここでも氏はゴマカシを行な 
っている。私は一回目、二回目で違う角度からこの図法の説明の仕方の問題点
を指摘しているのだが、氏は意図的にそれを一緒にし、「前の反論」(一回目
に対する「反論」)で解決済みであるかのように述べている。「前の反論」の 
後で指摘したことをどうしてその前に答えられるというのか。       

 さて、「不正確」と明言しているのは二回目で、その図法を一般化した形で
「大圏コ−スは直線で示される」としていることに対してである。これについ
ても「検定済み教科書」に「そっくりな解説が」あるとでもいうのだろうか。
そうでなければ「田代博氏は間接的に、日本の教科書が「不正確だ」と検定官
に」という文章が意味をなさなくなってしまう。日本の友人にでも頼んで、
そうした教科書をさがした上で、是非ともお教え戴きたいものだ。   

 ところで氏は随分思いこみが強いようだ。今度は「 」の引用ではないので
若干の言いかえはよいとしても、掲載された投書のどこで「この解説を引用す
るのは地図を知らないからだ」と表現しているか。「嘘つきよばわりまでした」
にいたっては被害妄想も過ぎるというものだ。もちろん、今回の投書を見ても
二回目の指摘に対するまともな弁明はなく、地図の「基本的理解」がなされて
いるとは思えないが。 
 尚、「検定官に食ってかかる」のは「奇妙な窮地に陥」ることなのだろうか。
高校の「地理」、「現代社会」教科書の作成を通して検定に関わった経緯から
すれば、場合によってはそれが正しいことすらあるということだけ述べておこ
う。 
 
 その三。カ−ネギ−平和財団の地図について。またもやすりかえ。かかっ 
ているというのは氏の表現ではなかったのか。「地図をつくった専門家たち」
が文章でそう説明しているのなら、何故そのように書かないのか。五月二四日
号にも図の掲載された九月六日号にもそのことは何も記されていないこんな 
論法は異常というべきだ。もし、「専門家たち」がそう書いているのなら、
その部分は次のような批判にかわるだろう。
 権威によりかからず、自分の目でよく見、判断しなさい、と。
 背筋が寒くなり、田代を悲劇とするのは勝手だが、「私に関してはデッチ上
げの中傷」などと自己弁護に努める国尾氏はまるで喜劇である。
 お互い「礼節をわきまえた」議論をしたいものである。
 
 

》資料2 「ランベルト図法」による半球図(「朝日ジャーナル」1985年5月2 4日号)

   <見づらくて恐縮ですm(--)m>



 
 
 米統合参謀本部の85会計年度「軍事情勢報告」に描かれているというパ−シ
ング2の射程孤を示す地図。尚、正確には「半球」は描かれていない。国尾氏
は何とこの地図の上で、次のような読み取りを行なっている。
 引用が不正確になるといけないので、「朝日ジャ−ナル」(1985年5月24日号)
の文をそのまま切り貼りして掲げることにする(便宜上、書き抜く−−田代)。
 
     米統合参謀本部の八五年会計年度「軍事情勢報告」にも、パー
    シング2の射程弧が実線で書き込まれている。地名が省かれてい
    るので、断定できないが、拡大して大型の地図に重ね合せてみる
    と、この弧はやはりモスクワにかかっているようにみえる。
 
 何とまあ!! 佐瀬氏に9月6日号で「そういうやり方は、とうてい、論証手
法と呼べるような代物ではない」と徹底的に批判されるのはもっともである。
投稿1ではその佐瀬氏による批判の数的な間違いを指摘したため、批判の意義
が薄くなってしまった感があるが、基本的に正しい指摘である。
 

》資料3 カーネギー平和財団によるミサイルの射程を示す地図


(地図(1)〜(3)省略、以下はコメント)
 
(1)、(2)は「朝日ジャ−ナル」(1985年9月6日号)に掲載されたもの。
(3)は朝日ジャ−ナル」編集部を通して編者が入手した原図のコピ−のコ
ピ−。(1)はこれを書き直したものということになる。射程孤はモスクワに
かかっていると見るのと、ギリギリだが、はずれていると見るのと、どちらが
自然だろうか。 
 (2)の拡大図は編集部が独自に作ったものだそうだが、モスクワを示す線
がどこにかかっているかよく御覧戴きたい。巡航ミサイルとパ−シング2の射
程孤の交点になっているのである。モスクワが星印であるはずだったがそれは
どうなったのか。本来の図では、モスクワがはずれてしまうので、そうならな
い(見えない)ように作為的に図を書き換えたとしか思えない。この図には国
尾氏は関わっていないのかもしれないが、まるで、”地図で嘘をつく”見本で
ある。
 国尾氏の友人の例の小川氏は「ささいなことだ」と言ったが、それならはじ
めからこんな図を論拠として出さなければよいのであり、その図自体が問われ
ている時、こういう逃げ方をするのは、御都合主義の誹りをうけてもやむを得
ないだろう。
 また、国尾氏も気付いていないだろうが、この図でパ−シング2の射程孤は
どこを中心として描かれているだろうか。(2)に書き込みをしていることか
らもおわかりのように、決して「キ−ル、ハンブルクといった西独東北部」
(投稿2)ではないのである。氏にとっては二重に墓穴を掘ってしまう地図と
いえるだろう。
 尚、編者が編集部の伊藤氏から聞いたところでは、この図にはCIAが関係
しており、その筋から国尾氏は、モスクワは「かかっている」という説明を受
けたようである。それが事実だとすれば、ますます、投稿5および資料1で行
なった批判が生きて
くると言えよう。
 



>>若干の総括・感想等


 
 基本的な論点については、投稿5で高嶋氏により明解な結論が出されている
が、当事者として、若干述べておきたい。
 編者の問題提起は、投稿1、3で明らかなように、「地図についての理解、
使い方が不十分であり、誤りが多いことを指摘すること」にあった。その実態
は、ご覧の通りである。何も地図を使わなくてもすむ議論に、何故あやしげな
地図(地図の知識)を持ち出すのか、率直な疑問であった。特にそれは国尾氏
に著しい。氏によれば少しでも1800キロ以内(パ−シング2の射程孤内)の場
所があればよいのだから、「十分な数理的、物理的根拠」を明示できればもう
それで済むはずなのに権威付けのためか、あれこれ地図をもちだそうとする。
従って批判せざるを得ないのだが、それがいたくプライドを傷付けることにな
ったようだ。彼の「国際問題評論家」としての能力ではなく、あくまでも地図
についての理解力の批判だったのだが。投稿2では「失礼ではないか」と言い、
投稿4ではわざわざ( )書きで、「私に関してはデッチ上げの中傷」と書い
ている。このくだりには思わず失笑せざるを得なかった。

 ところで、投稿2では「地図にゆがみのあることぐらい小学生でも知ってい
る」ということで地図を理解している気になっているようだが、ここに端的に
地図についての無理解ぶりが表れているといえよう。地図にゆがみ(正確には
ひずみ)があることを知っていることと、それがどう具体的に表れるかを理解
していることとは次元の違う問題なのである。投稿3の元原稿ではそれを次の
ように書いていたので、掲げておこう。

 「尚、地図のひずみ(氏のいうゆがみ)は「小学生でも知ってい」てもその
内容を正しく理解することは容易なことではない。小学生でもミサイルが飛ぶ
ことは知っているがその軌道計算は高度の数学的物理的知識を要求されるの
と同様である。
 その投稿2で「ホフ周辺」を「少しも微妙なところはない」と断言している
点については、ホフ、モスクワの経緯度をどうとるか、周辺」をどう理解す 
るかによって、この地域が微妙な位置にあることは変わりないことを指摘して
おこう。 
  
 投稿3にある”マイル論争”というのは、ミサイルの射程のマイル表示は実
は「カイリ」か陸上「マイル」かという議論があったことを示している(「朝 
日ジャ−ナル」1985年9月6日号)。基本的な定義を都合よく変えられてはたま
らないからである。
 それにしても、何度も述べるようだが、投稿4はひど過ぎる内容である。そ
れについては、投稿5、資料1で述べてあるので繰り返さないが、正確な引用
すらできず、また突然論拠をかえる「国際問題評論家」とは何だろうか、と考
えざるを得ない。

 尚、編者の側にも資料確認の不十分さがあり、それが国尾氏に「かくも居丈
高であり、品性のない文章」を書かせてしまうことになったように思う。今後、
注意したい点である。
 
 日本では、大学にも地図の専門の講座がなく、体系的な地図学習が十分なさ
れていないのが現状である。そうした状況下で、十分な地図教育を行なうこと
は地理教師にとってもかなり荷の重い仕事である。しかし、私達が担わざるを
得ないのもまた事実である。
 地図は視覚に訴えるものであり、それだけ誤ったイメ−ジも入りやすい。正
しい地図認識のために、地理教師の責務はいよいよ大きいといわざるを得ない。
 (アドバイスを戴いた萩原氏、特に忙しい中、論争を総括して戴いた高嶋氏
に厚く御礼申し上げます。)
 





 以上です。ご覧下さって有難うございました。    尚、“判定”をして下さった高嶋伸欣さんは、現在「現代社会」の教科書検定 をめぐる裁判「横浜教科書訴訟」の原告です。そして上にも書いておりますよう に私がこの4月から勤務している筑波大学附属高校の教諭でもあった方です (現琉球大学教授)。これも何かの縁でしょう(^^)。  

 おまけ)「国尾達」は戦前なら「国尾守」の類でしょうか。それから山尾望が生れたので、
この国際問題評論家氏に感謝しなくてはならないかもしれません(^_^;)。


                 格好の授業資料として使っている山尾望

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