「地図と写真で見る日本の空襲」展 を見て
12月レポート   1組 2組 4組 6組
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2 ●行った日 12月24日
●会場にいた時間 90分

 まず、スケールが大きかったことに驚きました。最終日の午後に行ったのですが、予想よりも多くの展示品があり時間が足りなくなってしまうところでした。
 場内には当時を知っていると思われる世代の夫婦が多く、過去を振り返る良い機会となったようです。
 最も私の印象に残っているのは、ジョー・オダネルさんの写真と言葉です。私は原爆についてアメリカ人が語るのをテレビで見たことがありましたが、それらはみな原爆投下を必要なことだったと言うものだったので、アメリカ人はみなそう考えているのだと認識していました。しかしオダネルさんが「原爆投下は不必要だった、私は悔しい」と残していたので、そうではないと分かりました。原文のうち、「ash,regret,sorrow,unnecessary」という単語が印象的でした。
 予備知識などがあまりなかったので、何も得ずに帰ってくることになるのではないか、とも思ってもいましたが、豊富な展示品のおかげで学ぶことがいくつもあり、濃い90分だったと思います。
3  空襲においてはある程度の知識はあった。今回の展示会は、地図から空襲の状況を知るものなので興味があった。地図は戦災地区を空襲ごとに色分けし、加刷してあった。中でも東京都内を見渡せるものがあった。友人たちとそれを見ていると年配の係員さんがやってきて当時の様子を語ってくれた。彼が言うには、隅田川より東側の両国のあたりにいたそうだ。空襲警報が鳴り響き彼は迷った末に川を渡り西側へ逃げた。空襲で川の東側は地獄絵図のような状態だったそうだ。地図では、川より東側の地区は真っ赤に塗りつぶされ死者数も大きかった。「本当に運命の分岐点だった」とその人が言っていたので思わず息をのんでしまった。
 写真展では、広島が原爆で破壊される前後の写真があった。本当に悲惨であった。数多くあった建物が面影もなくなり廃れた状態となっていて以前にこんなことがあったのかと思うと信じきれず言葉がでなかった。実際に長崎の原爆記念館を訪れたことがあるのを思い出した。立派な近代的な建物の中に目を覆いたくなるような遺品や写真がありかなり動揺したことを覚えている。
 他に有名なジョー・オダネルの写真をみることができてよかった。また、地面いっぱいに張ってあった世界地図も、南アメリカ大陸や日本の上を歩いたりしてみて楽しめた。

 今回の展示会では帰る時には当時の様子やむごい話を聞いたり衝撃的な写真をみて重く辛い気持ちになっていたが、過去を知ることの大切さに気づかされたと同時にいかなる場合においても戦争はあってはならないと強く認識でき本当にためになった。
4 ●感じた事

 自分が中学のとき、その名前で呼ばれていたからか、ジョー=オダネルさんの写真は感慨深いもので、ショックだった。アメリカ側の作戦の意図がハッキリしていたのにも、驚いた。
 痛々しいと感じたが、これで戦争の全てを知ったつもりになってはいけないと思った。それは、僕達はまだ戦争を部分的に見ただけで、実際に体験した人の感じた恐怖を分かることは出来ないと思ったからだ。
 だからこそ、少なくとも今回のような催しに参加できて良かったと思った。
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6 展示会に入ってすぐの、東京の空襲についての展示は地図が多くて僕にはわかりづらかったですが、それでもよく見るとわかることもありました。
3月10日以前の焼失地域に比べて、3月10日以降の焼失地域の広がり方に驚きました。
無差別爆撃の壮絶さががうかがえました。
また焼失地域がとても細かく書かれていて、攻撃はとても正確だったのだなと思いました。

地図を見ていると自分の知っている町や駅がでてきて、かつてそこも空襲の被害にあったのだなと思うと不思議な気もするし、いまに生きていて良かったなと思いました。

展示会には自分の祖父や祖母ぐらいの年の方も来ていて、その人たちが地図や写真をみて話しているのを聞いているとこの頃の東京を実際に生きて、この展示を見ていろいろなことを思い出しているのだろうと思いました。

今度、自分の祖父と祖母にも戦争のことを聞いてみようと思いました。

写真を見ると空襲のむごさがよくわかりました。

原爆などに比べると空襲はそんなにひどいものではないのかと自分では思っていたのですが、町が破壊され人もたくさん死んでしまった恐ろしいものだとわかりました。

東京に爆弾が一万個以上落とされたと資料に書かれていて、そんなにたくさんの爆弾が落ちる状況は想像できませんでした。その中で生き残った人たちがいるのはすごいと思いました。

でも写真のように破壊された町で生きていくのも大変だったでしょう。

それから大きな世界地図もすごかったです。けっこう感動しました。よく見ると町や砂漠、エアーズロックも見えておもしろかったです。

またジョー・オダネルさんの写真も印象に残っています。子供の写真が日本で撮ったものとは思えませんでした。
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8 ●行った日 12/24
●いた時間 約60分

 空襲による被害の写真を見ると、街のほとんどが黒くなり、焼き払われていたのが分かった。私は、空襲はもっとまばらに焼いていくのだと思っていたが、違ったようだ。そして、もしかしたら空襲は、街に対し無差別に何の考えもなしに、爆弾を落としているのかとも思った。しかし、空襲による被害の地図を見てみると、飛行場や基地、工場などの軍事施設そして病院などを中心に空襲していたようにみえた。しかし、東京で10万人以上も死者が出たのだから、、当然住宅街にも空襲をしていたはずだ。軍事施設だけをピンポイントで爆撃するならまだしも、一般市民をも巻き込み多数殺してしまうのは、おかしいと思う。広島や長崎の原爆での被害の写真もおいてあった。やはり街一つ消し飛ばして、無差別に一般市民の命を奪っていったのは、有ってはならないことだと思った。このような悲劇を繰り返さないためにも戦争はもうするべきではないと思った。
9  まず、上から見ると、どこがどれだけ被害が出たか、どれだけ壊されたかなどが分かりやすくて、新しい見方でした。というのも、今まで戦争のときの写真を上から見おろしたのは、B-29の写真くらいだったからです。地図ができ、より精密になったということは、より精密でかく集中的な攻撃を促したと思います。この発達は皮肉にも、戦争をより活性化させることになってしまったのではないでしょうか。地図を使うことで、狙いを定めることが多くなり、その分空襲の回数も増えたと思います。
あと、戦争中には、かなり精密な、世界地図ができていたことにも驚きました。戦争中だから当たり前と言えば当たり前ですが、これのおかげで他国にいけるようになったと思います。
 そして、一番印象に残ったのは、アメリカ人カメラマンが撮った日本の光景の写真です。今まで「60年前の悲惨なできごと」とでしか戦争を学ぶことはなかったので、びっくりしました。でも今までアメリカ側は、戦争に勝ったことによる安心感と優越感で、自分たちがしてしまったことによる重大なことに気づいていないのかと思いました。しかしそのアメリカ人は「自分たちがしてしまったことにようやく気づいた」とつづっていたので、アメリカ人にもこういうことを考えてくれる人はいるのだなと感じました。
 この展覧会は、戦争中の状況を伝えるのに非常にいい展示だったと思います。
10 ●行った日:12/22
●会場にいた時間:70〜90分

 この種の展示は、見た後に大きな悲しさや虚しさ、色々な負のイメージを背負い、また何よりショックを受けるので、展示室に行く前に心にためらいが生じた。まず展示室前に、全国に落とされた爆弾数、死者数等のリストが貼られていたが、特にその「東京府」の欄に圧倒された。他の大都市でもそうであるように、そこに記されている数が何でも大きすぎた。そしてその数に驚きながらも、見ているうちに慣れてしまう自分に恐くなった。
 東京の地域別戦災図の中に自分の家の近くの地図があったのでよく見てみると、自分の家の近くはほとんど焼けていたことがわかった。昔祖父母に「逃げて戸越公園へ行って、池で水を体にかけて助かった」という話を聞いたが、まさにその話の通り、地図を見ると戸越公園側は赤色で塗られていなかった。
 しかし、公園とは反対方向へ逃げていたらどうなったろう、と地図を目で追うと、そちら側はほとんどが赤色で染まっていた。この瞬間は背中が冷たくなったし、本当に恐ろしかった。下町の地図は、西のほうへ行かない限り真っ赤である。「私たちは西のほうへ橋を渡って逃げて助かって今ここにいるが、反対側に逃げた人たちは全滅だったろう」と下町のその戦災の図を見て説明してくださった方の話はとても重々しく感じられた。その戦災を表す赤色が、炎や人の血に見えてつらかった。
 もう一つ、60年以上前の世界地図を見て、日本の変わりように改めて驚いた。中には全部漢字で国名が書かれている地図もあったし、地図から国全体が短期間のうちにこんなにも変わってしまう「力」が働いたのだと感じた。国は膨大な人のかたまりである。それゆえその力は強く、当時の社会も同様大きく揺らいだのだなと考えさせられた。社会が大きく揺らいだ時や、国や世界的に何か大きな危機に直面した経験の無い自分は、平和な時代に生きてある意味幸せである。しかし、逆にそのような事態にさらされた時、対処のできない自分はゆえにもろく、過去でいうナポレオンやヒトラーなどの独裁者に身を委ねかねないのではないかとも思った。
11  もっと血なまぐさい資料展かと思ってハラハラして足を運びましたが、意外にも地図や上空写真ばかりでした。
 一番記憶に残ったのは、長崎に原爆が落とされた時の、投下直前と直後の2
枚の上空写真で、原爆がいかに悲惨なものかは知っているけれど、その写真で「武器」としての原爆の強力さを知りました。他にも、アメリカ側の立場から
の資料も多く。空襲計画地形図など、いかにアメリカの技術が進歩していたかを感じることができました。
 戦争について考えるといつも思うことですが、戦争なんてしないに越した事はないのです。戦争をして幸せになる人なんて1人だっていないし、悲しい目に遭わない人なんて誰もいないのだから。そう考えると、文化・技術の差が明白であったアメリカと戦争をしてしまい、多くの犠牲者や悲しい歴史を残したかつての日本人は本当に頭が悪いと思いました。しかし、その国としての経験を後世の僕たちが知ることで、過ちを繰り返すことは無くなるはずです。
 改めて平和が1番!と思う1日になりました。 
12 ●行った日  12月22日
●会場にいた時間  約80分
● 見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 「地図と写真で見る日本の空襲展」を見て印象に残ったのは、やはり空襲の前後の航空写真だった。いろいろな場所からの写真があったが、広島・長崎の原爆投下前と投下後を比較した写真がその中でも一番印象的だった。原爆投下前と投下後は、同じ場所とは思えないくらい変わり果てていた。それらの写真を見て、本当にこのようなことがあったのかと思うと胸が痛んだ。
 また、東京大空襲があった当時に生きていて、生き残ったかたが当時の状況を説明してくれたのも印象に残った。それは、東京大空襲で亡くなった人の遺体がどこにどれだけ埋められたか、という主旨の地図についての説明だった。東京には、至る所に痛いが埋められている、というのに驚いたが、そのかたが戦場の状況について説明してくださったことにとても心を打たれた。西に逃げた人は助かり、東に逃げた人は全滅だったことや、火が川を越え、川に飛び込んだ人も亡くなったことなどを教えてくださり、とても驚いたとともに、自分の悲しい記憶をわざわざ僕たちに教えてくださったことに感銘を受けた。そして、教わったことを一生忘れずに、他人にも教えていき、戦争の怖さを広く訴えて生きたい、と思った。
 最後に、体育館のような所の床に大きな世界地図が敷かれていた。実際に上を歩いてみると、普通の世界地図とは違い、意外性があって面白かったし世界地理の勉強になって良かった。
13 正直、今回の宿題は家から出ないとできない点でかなり面倒くさく感じていた。しかし終わってみると、かなり行く価値のあった写真展だと思った。
 特に印象に残ったのは空襲による戦災地図、特に首都圏のものだ。空襲の時の写真や、戦災地図1枚だけ、といったものは学校の資料集などでよく見ていた。それだけに今回の写真展を軽く見ていたのだが、それは違った。各市区町村の被害の様子が細かく描かれた地図を一度に大量に見ることで、空襲のすさまじさを知ることができた。それが身近な東京だったことで、さらに印象に残った。一方、自分が住んでいる町田は死者3名。立川で何百人もの方々がなくなっているときにこの数字なので、平和であったと思うと同時にこの頃は開発されていない、歴史の浅い町田ということを感じた。
 戦災地図についてばかり書いたが、もちろんほかの部分も印象残った。特に、小中学校の資料集には載せられないようなひどい写真は、戦争のすさまじさを教えてくれたと思う。
14 ●行った日…12月23日(金)
●会場にいた時間…約180分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 一番印象に残ったものといえば、やはり1つの部屋の床一面を埋め尽くしていた巨大な世界地図だ。世界の上を歩くことができるのだから、印象にも残る。衛星写真からの合成のようで、なかなか精密だった。展示の趣旨とは違うと思うが、便利な世界になったものだと感じてしまった。伊能忠敬などは日本地図を作るために日本中を歩いて回ったというのに、現代では一瞬で世界地図の元になる写真が手に入ってしまうのだから。だが、この世界地図は確かに面白かったが、こちらの印象が強すぎて、他の展示の印象が薄れてしまった。地図の上にアメリカの爆撃基地や日本で被害にあった場所などを示してもよかったのではないだろうか。
 しかし、それでも他の展示も十分印象に残った。他の展示には日本においてのアメリカ軍による爆撃での被害者数を示した地図や、被害地の爆撃前、爆撃後の航空写真(もちろんアメリカ軍による撮影)などがあったが、その中でも特に被害者数を示した地図が印象に残った。東京都心の被害者数の多さはもちろんだが、それはもともと知っていたこともあるので、それよりも東京の郊外(自分もそこに住んでいるが)の被害者数の少なさに驚いた。自分の住んでいる市などは被害者数0人だった。当時は郊外の人口が少なく、空襲の標的にならなかったのだろう。しかし、今までは東京都などは全域にわたってじゅうたん爆撃の被害にあっているものだと思っていたので、驚いてしまった。疎開というのも、東京から出るものだと思っていたが、その地図を見るとそこまでする必要はなかったらしいと思った。そう考えると、もちろん当時のことは分からないのでなんとも言えないが、爆撃による被害はもっと減らせたのではないかと思う。
 他に印象に残ったことは、展示とは関係はないのだが、一緒に見に行った友人たちが戦争についての知識が非常に少ないということだ。中には会場の出口付近でやっていたDVDであった原爆投下の瞬間の映像を見たことがないという友人もいた。確かに戦争は過去の出来事だが、自分の国の過去に起こったこと、自分の祖先(というか祖父母、曾祖父母)に起こった出来事を知らなくてよいということにはならない。そのことから、やはりこの『地図と写真で見る日本の空襲』展のような戦争を伝える機会は多くなければだめだと思った。また、自分たちのような現代の人間も、そういった機会を進んで得ることが重要だと思った。
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17 ●行った日:12月21日(水)
●会場にいた時間:120分
見て感じたこと、思ったこと、考えたこと

  アメリカ軍が日本をよく調べ上げていたことを痛感しました。空襲の前・中・後と比較できるよう になっていましたが、その写真を取った人はどんな気持ちであったのだろうと考えました。
 東京の空襲被害の地図を見て、軍事工場を狙ったとはいえ、多くの家屋が焼け、多くの人々が亡く なったことを改めて思い知らされました。 また、仮埋葬者の人数分布を表した地図が衝撃的でした。一人一人大切にされることもなく埋葬さ れていったと考えると悲痛な思いが込み上げてきました。自分の家の近くの公園もその現場であった ことを知って驚きました。

  今回の展示を見て、言葉と同等に地図や写真にも我々に訴えるものがあることを感じました。どう してこんなになるまで戦争をしたのかという疑問は拭えず、アメリカ軍に対する憎しみではなく、戦 争を始め、そしてやめなかった日本にあきれるばかりでした。 戦争の体験者は年々減少していき、いずれいなくなってしまいます。今後形として残っていく地図 や写真はとても重要だと思います。伝えていくことは年々難しくなりますが、こういう方法もあると いうことを改めて考えさせられました。

 歴史を忘れることなく、常に反省しながら未来へ進んでいく ことが、今後の日本のみならず世界にとって大切だと思います。 とても充実した有意義な展示会でした。
18  僕は祖母が長崎出身のため、長崎に何度か訪れて原爆資料館にも行った事がありました。そこにも原爆を受けた時の長崎の様子の写真や実際に落とされた原爆の模型などもありました。その時も原爆の悲劇さを痛感しましたが、今回の展示を見てまた同じような気分になりました。空襲を受けた直後の写真はそれまでの景色とは見違える光景でいてとても心が痛みました。
 それから地図という点で、今回強く心に残ったものは様々な地図があるという事です。特に感動したものは広いホール一杯にとても大きな世界地図が敷かれていた事です。思わずハワイまで何歩で行けるかなど試してみてしまいました。
 そして、もう一つ感じた事で、自分の住む世田谷区の大きな地図があったのですが、地名などはあまり書いていなかったせいか意外にも自分の家の場所がどこかわかりませんでした。頭の中では何となく分かっていても地図上で正しく場所を認識する事は難しいなと感じました。
19  やはり下町の被害は大きかったのだなと思った。今、自分が住んでいる地域は被害が少なかったのだな、と思うとまだ良いのかもしれないが、戦争でなくなった方はそのまま埋められてしまったのかという事実を知り大変心が痛んだ。
 戦後60年たち、やっとこのような情報が開示されたことを思うとなんとなく腹立たしい。会場で印象深かったのは巨大な世界地図と壁にかけられていた地図。後者の地図は日本の領土の広さがうかがえた。(当時の) 朝鮮半島や太平洋諸国を制圧していたとはとても日本は強かったという事実を認識した。
 この展覧会は見る価値がとてもあったと思う。戦争の敗北から今の日本は存在するのであり、そういうことを認識するのには良い機会であったと思う。
 ただ、会場にいたのは、やはり戦争経験世代の人々が多数をしめており、やはり20台ぐらいの人々にもこういう展覧会を見てほしいと思った。今の10代、20代の世代の人は自分達がどういう役割を持ち、日本のために何ができるか、ということを考えて行動して行くべきであると思う。日本の戦争体験を、決して消し、無駄にはしないように努めていかなければならないと思った。
20 ●行った日  12月20日
●会場にいた時間  100分

感想
 小学校のころ長崎県に住んでいたので、原爆の話は何度も聞かされた。原爆の日(8月9日)は夏休みだけど登校日だった。なぜか21日も登校日だった。小学校時代は、大変だったんだな。としか思ってなかったが、今回改めて戦争の被爆地図やジョー・オダネルさんの写真を見て、大変とかそういう次元の話ではないとわかった。被爆地図は、そこにいたおじさん(見方によってはお兄さん)に説明してもらったので、ひとつひとつの地図の意味がよくわかった。自分が住んでいるところは、地図のぎりぎりで切れていて、少し残念だった。ジョー・オダネルさんの写真は、戦争と言うもののもたらす悲しさが伝わってきた。二度と戦争を起こしてはいけないということを再認識するとともに、今こうして生きている自分たちは幸せなのだと感じた。最後の待ち合わせルームのところに「世田谷区の平成16年の上空写真」があった。自分の家を見つけて、飛び跳ねたいくらいうれしかった。家から駅までの道をたどってみたり、友達の家を探したりして、自分だけで勝手に楽しい時間をすごした。おしまい
21 ●行った日12月23日
●60分

  「東京大空襲から60年たった。名古屋に住んでいる私の祖母は今年74歳になるのだが、当時の日本の様子、自分たちの暮らしについて、昔よく話してくれた。祖母はその頃幼かったが当時のことは恐ろしい思い出として頭に焼き付いていると言っていた。とにかくその話してや予想する限りとてもひどいものであったことはわかる。しかし実際にどれほどの被害を受けたのかなど知らない部分が多かった。
 今回、この展示をみに行って戦争、そして人間のつくり出す発明品が使い方を誤ると大変なことになることを地図や写真というデータから現実のものとして深く感じた。
 展示品の中で一番印象に残っているのは、米軍が撮影した上野から両国までの航空写真だ。かなり広い地域が焼き払われていた。現在の様子からは本当に想像がつかない。
 私たちは今回展示されていたような資料を大切にしていかなければならないと思った。そしてその恐ろしさを伝え、二度と同じことを繰り返してはいけない。
22 ●行った日 12月19日
●時間 70〜90分
●感想

 今回、この展覧会に行って、アメリカの徹底ぶりに驚きました。
長崎に原子爆弾を落とす一年前に、米軍が長崎上空から長崎港を写した写真が展示されていました。 一年以上も前から日本の長崎に原子爆弾を落とそうと狙いを定めていたなんて、なんて準備が早いの だろうと思いました。
 また、それと同時に、そんなに早くアメリカが準備していたのに、日本は、早く気づいて大量の死者 ・負傷者を出す前に、潔く降伏することはできなかったのかな、と思いました。 広島でのことはまだしも、予告印刷物が撒かれた長崎では、降伏や疎開などの手段もあったのではな いか、と思いました。 先生が授業中におっしゃっていたB29が写っている珍しい写真は、B58爆撃飛行団B29、愛称【モンス ーン・グーン2】という名の爆撃機が写っていて、これは、B29を改造したF13写真偵察機の撮影経路 に前述の爆撃機が進入したから、だそうです。
  図書館(?)の方では、疎開児童の1日の予定表が展示されていて、疎開児童がどのような生活をし ていたのかが分かりましたが、展示物の中には、私たちと同年代の女の子が書いた遺書や遺髪、血の ような跡がついた紙などもあり、改めて戦争の悲惨さを感じました。

参考
★1945年8月8日の深夜に長崎に撒かれた印刷物
日本国民に告ぐ この印刷物に書かれたことしっかり読みなさい。 アメリカは史上最強の爆薬を開発に成功しました。この原子爆弾は、あの大きなB29爆撃機2000機分 に搭載される爆弾と同等の破壊力を持っています。あなた達はこの恐るべき事実について真剣に考え てみなければなりません。 我々は誓って、これが偽りでないことを宣言します。この兵器はすでに日本本土に使用しました。 まだ信じられないというのであれば、一個の爆弾によって引き起こされた広島の破壊の様を御覧なさ い。 合衆国大統領はすでに日本に対して無条件降伏のための13の要求の概要を示しました。 より平和で愛すべき新しい日本を再建する第一歩を受け入れるよう忠告します。 武力による抵抗がもたらす末路とどちらが有益であるか、速やかに判断を下さなければなりません。 この警告を無視すれば、この戦争を速やかに終わらせるため、我々はこの爆弾を他の高性能な兵器と を用いることを決断することになるでしょう。 ⇒この11時間後の1945年8月9日午前11時2分頃に爆弾が投下された。
★日本人被爆者や、調査に来たアメリカ人は、血液の病気や癌になったり、骨が軟化してしまったりした。
★連合軍機の音がすると、母親は子供の耳に綿を詰め込んだ。   ⇒そうしないと耳が聞こえなくなってしまう・・・
★米軍が終戦の二日後に作成した日本全土地図には、県道や、戦車や、軍用トラックが通行困難な河川や水田が強調して描かれていた。
★広島に落とされた爆弾【リトルボーイ】はウラニウムで作られた4トンの原子爆弾で、投下後100万分の1秒で数百万度に達し、約92000人が死亡する恐ろしい爆弾であった。
23  日本で「戦争」が終わりを告げてもう60年が過ぎたらしい。毎年8月が近付くと各地で話題になるが、そうした中で特別その事を意識しないのが(大人ほど関心を持たないのが)私達若者なのではないだろうか。私が生まれたのは、その傷跡(つまり戦争の傷跡)もすっかり消えてなくなってからで、だから見ず知らず経験せずの「戦争」というものを、またその恐ろしさ、悲しさと言った様なものを痛感するのはなかなか難しい事である。そうした戦争を知らない人々にそれを伝える手段は「写真」であったり「映像」であったりする。逆にそう言った手段でしか知りえないワケだから、今回の展示を見に行って考える事・学ぶ事は多かった。

 展示の中で一番目を惹いたのが、名古屋の空襲の航空写真。投下された爆弾が白く写っている。これを投下したアメリカ兵はこの時何を考えたのかな…、等と考えてみる。科学や技術が進み、それと同時に戦争の被害も大きくなった。スイッチひとつで多くの人間を殺せる様になった。そして何よりも、戦争が科学・技術を取り入れていくうえで、「人の命を奪う」という意識はうすれて、スイッチを操るだけの言わば「ゲーム」への意識に変わっていったのではないか、と思う。戦争においての科学・技術の発展は、「人の命を奪う事がいかに簡単か」を証明したにすぎない。まして、兵士が爆弾を投下する際に、「多くの人間を殺す事になる」等といちいち考えるハズもないだろう。

 この戦争で日本は莫大な被害を受けた。戦争に敗れた。ポツダム宣言の受け入れによって全てを失った。この様な痛みを受けて、おそらく初めて「平和」というスローガンを掲げたのだろう。これまで日清戦争でも日露戦争でも(一応)勝って来ていたからこそ、負けたこの時になって「平和」の大切さに気が付いたのではないだろうか。強い者に痛みなどわからない。危機感など生まれない。だからこそ、痛みを知ったあの時から60年もの間戦争をしていない。憲法にもある様に平和を維持して今に至っている。「写真」であったり「映像」であったりという、過去を刻む記録が今後、「平和であることの大切さ」という意識と同時に、これから日本を支えていく(と言ったら大袈裟かも知れないが)、若者・子供、またまだいない何十年何百年も後の国民に伝えられ、「戦争のない平和な日本」が維持されていくワケだ、とそう考えると今回行われたこの企画(展示)もとても大きな意味を持っているのだと痛感する。
まだ全てを知ったワケではないけれど、「空襲」という視点から「戦争」というものがどういうものなのか、少し分かった気がする。

一言…
 展示の内容については考えさせられる点が多多あったのですが、展示方法というか、配置をもう少し工夫してもらえるといいなぁ、というのが本音。例えば、空襲前・空襲後の航空写真で、写真下の表示を違う風にとらえてしまい比較に戸惑った、また地図の展示で、凡例が7つもあるのにそれを一色で表してあるのもあり、だいたいの概要を掴むのに苦労した、など。パッと見てわかる様な配置・工夫を希望します。

 失礼な事を言ってしまい申し訳ありません。乱筆乱文お許しください。
24 ● 行った日 12月21日(水)
● 会場にいた時間 90分
● 見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 わたしが一番印象に残ったのは、空襲前後の上空からの写真だ。授業で見たもの以外にも何枚か展示 してあったが、空襲後はどれも黒く、何も無いような感じだった。本当に街が丸ごと消えてしまった ようだった。ここに住んでいた人々は空襲のとき何を考えていたのだろうと思った。
 また、NHKのDVDも印象深かった。終戦後、戦死した人や飢え死にした人を、まるで物のよう に扱っている映像にはショックを受けた。一人が死んだ人の手を、もう一人が脚を持ち、放り投げて いたのだ。

 小学生の頃、祖母から戦争の話を聞いたとき、祖母の声は震え、今にも泣き出しそうだったのを覚えている。そのときはイマイチわからなかったが、映像を見たら、こんなに恐ろしさが伝わってきた。当時の人々は、言葉では伝えられない、どれほどの恐怖を味わったのだろうと思った。今 でも思い出すだけで涙が出てきてしまうなんて、どれほどの傷を心に負い、終戦記念日などにはどん な思いをしているのだろう・・・。
25 ●行った日 12月20日
●会場にいた時間 約120分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと など

 前日にたまたま少しだけ関連した内容の番組を見ていたのでちょっと違った見方が出来たんじゃないかと思う。
 ジョー・オダネルさんの写真には一つ一つコメントがあって読むものに訴えるものがあった。
全身やけどを負った方の写真はちゃんと見て受け止めなければいけないと思ったのに目をそらさずにいられなかった。そんな自分をとても恥ずかしいと思った。原爆を落とした当時のアメリカの大統領は日本に原爆を落としたことを『間違っていた』と言っていたようで、ちゃんとわかってくれている人もいるんだなあ、と思った。(みんなこうするしかなかったと原爆に対して肯定的なのかと思っていた)係員のおじさんのような人が当時のお話しをしてくださって、その頃のアメリカの情勢などによる戦争への影響を知ることが出来た。ただ見るだけではわからないことも多いのでとてもよかった。

 一番心に残った(というか、ずぅんときた)写真は、男の子が死んだ弟をしょって火葬場で気を付けをして直立不動でいるものと焼け野原で女の子が着物を着ているものだった。
 前者は、小さな男の子が口をぎゅっと結んで硬直して立っている姿が胸をつき、(きっと両親もなくなり、天涯孤独となってしまったのだろう)戦争への憤りと、今の自分の無知さ、能天気さへのなんともいえない罪悪感がこみ上げてきた。
 後者は、周りの風景と彼女の服装があまりにもあっていなくて違和感を感じたのだ。その頃でも、お正月を着物で迎えられるというのは結構裕福だったに違いないが、彼女は空襲によって耳が聞こえなくなった紛れもない戦争の犠牲者なのだ。
 このような何の罪もない人々が犠牲となる戦争を二度と繰り返さないためにも私たちが次の世代へと語り継いでいかなければいけないと思った。
26 ●行った日  12月21日(水)
●会場にいた時間  約90分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など
  
 最初に入った部屋では、東京各地の空襲による焼失地点があらわされている地図がたくさんありました。 
 私の中で空襲というのは今までは、広島の原爆のように、1発で街全体を破壊してしまうイメージがあったので、何度かに分けて破壊が進んでいく様子に少し違和感を覚えました。また、建物ごとに爆撃の計画がたてられているのも不思議な感じでした。
 日本各地の地図では、やっぱり大阪や名古屋・姫路などの都市で集中的の爆撃がおこなわれたことがわかりました。中でも、工場や飛行場のあった所がねらわれたようです。その中の1つが長崎だったのではないでしょうか。
 最後の部屋では、写真家のジョー・オダネルさんの写真を見ました。被災地で立ちつくす子供の写真を見たときには、なんと言っていいかわからなくなりました。1枚、誰かの傷を写したような写真があって、人の体だと気づいた瞬間息がつまって、少しの間固まってしまいました。それぞれの写真の下にはオダネルさんのコメントがあって、そのほとんどが、こんな事件が起きてしまったことを悔やむものでした。アメリカ側の人にもこんな考え方をしていた人がいるのだということを知って少しうれしくなりました。やはり、実際に現場を見ると、敵味方関係なしにそう思うのでしょうか。この写真を見て、より多くの人がこういう考えを持ってくれればもうこんな悲しいことは繰り返されないのだろうと思います。
 また、最後の部屋の床にあったような大きな地図は見たことがなかったし、様々な地図に出会えてよかったです。
27  広島、長崎の原爆投下の写真がとても印象深かった。投下前後の写真が並べられていたが、様子はひどく変わっていた。広島の写真では、町の輪郭がほとんど見えなくなっていた。町全体が砂をかぶっているようだ。ちょうど、鉛筆で描いた絵の上に水滴を落とし、その絵の上からやさしくこすったもののようだった。民家は「壊れている」というより「くずれている」という表現が合うと思われるようにぼろぼろの状態だった。地理に関することでは、広島には川が多いと思った。原爆の参加の象徴として永久に保存されるという原爆ドームを見てみたい。

 長崎は、写真を見る限りでは広島より被害が小さかったようだ。被爆地のなかでも、地形的な条件によって被害の大きさに差があるということに興味をもった。土地の高低の関係で、爆心地に対して山の陰となった地域の被害は、そうでない地域のものと比べて小さかったようだ。そして、爆心地に近いほど、山陰ではなく爆心地の正面にあった地域の被害が大きかったようだ。

 ビデオで見た空襲についても興味をもった。空襲から逃げるために橋の上にとどまる人、川へ飛び降りる人がいた。最後には多くの人が亡くなっていしまうが、なんとか生きたいと必死にもがく姿を描いた絵がとても恐ろしかった。

 わたしは戦争と関わることなく生活しているが、世界では絶えず戦争が起きている。ビデオで見たように、つらい思いをしている人が多くいるだろう。同じ人間なのに、なぜ故意に傷つけあうのだろう。戦争を行うことで問題は解決されるのだろうか。世界の平和を求めるのならば、世界中人が過去の戦争のことを知り、国々が互いのことをよく考えることが必要だ。戦争がなくなってほしい。
28 ●行った日:12月20日(火)
●会場にいた時間:約90分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと、等々

 上空から撮られた写真が空襲前と空襲後と並べて展示されていて、その変容ぶりに驚きました。たくさん立っていた建物が跡形もなく消えていました。原爆直後の写真はまるですなをまいたようでした。本当にこんな風になるものなのか、と信じられない風景でした。日本人はなんですぐに降参しなかったのだろう、本気で勝てると思っていたのだろうか、そんなことを考えました。がらくたで大砲のマネをしたものをつくり、アメリカ軍をごまかそうとしていたというのも衝撃的でした。その大砲の写真に添えられていた、アメリカ軍兵士の「世界は日本の力を計り間違えていたのではないだろうか」という言葉がとても印象に残っています。
 また、帰郷する人達のために急遽作られたという戦災地図は私たちが普段使っているような色ペンが使われていて驚きました。空中写真はとても細かいところまで判別することができたので、道路などが地図に正確に描かれていることがわかり、当たり前のことですがなぜか感心してしまいました。また当時の世界地図が樺太半島の半分と台湾が日本の領土として表されていて、本当に日本の領土だったのだなぁ、と改めて感じました。
 体育館いっぱいに張られていた世界地図を見て、日本の小ささに驚きました。フィリィピンの諸島などが日本よりももっと小さいと思っていました。またオーストラレアが意外に大きく、ロシアの広さは異常なものがあると感じました。新しい発見ばかりで、いろいろなことが新鮮に感じられました。

 実は冬休み中に祖父母の住んでいる広島に行き、原爆ドームや原爆資料館に行きました。また大和ミュージアムも見に行って、東京に戻ってから映画「男たちの大和」も見ました。今年の冬休みは戦争のことにたくさん触れて、色々なことを考えさせられました。
29  空襲の話は、今までも歴史の授業などで教わったりして、何度か写真も見たりしたことはありましたが、こんなに大規模なところに行くのは初めてで、その資料の多さにとてもおどろきました。ここには本当にたくさんの写真や地図があったけれど、その中でも特に印象に残ったことがいくつかありました。まず気になったのは広島や長崎の空襲前と直後の上空からの写真でした。直前の写真で見たものが直後の写真であとかたもなく消えている様子は、空襲のすごさを感じずにはいられません。また、投下中の爆弾や、投下前の飛行機などが写っているものもあり、当時の様子を感じると共にその恐ろしさを感じました。それから、ターゲット・ワークシートというものが展示してあったのですが、それはすでに攻撃したところを白く、これから破壊する目標のところを黒く色分けした地図で、そこにはそのときのその場所の写真もあったのですが、その色分けどおりに破壊されていく建物が写っていて、空襲がいかに計画的に行われていたのかがわかって、すごく嫌な気持ちになりました。
 また、B29号んぽ記録という表では、破壊されたものや、壊れた飛行機などが単なるデータとして 表にされていて、残酷さを感じました。これらの被害にあって命を落とした人々が、そういった数値などとして処理されてしまうのはすごくはかないと思いました。それから、このような酷い状況を目前にして、それを写真に残した人々も、どんな思いだったのだろうかと不思議です。
 このような出来事はもう二度と起こってはいけないけれど、この出来事をなかったことにするのは決してやってはならないことだし、むしろ私たちのような人々はもっと積極的にこれらのことを知っていかなければいけないということを強く感じました。
 以上です。それにしても、この空襲展はほんとにすごかったです。こんなものを無料で見られるなんて感動です☆
30 ●行った日  12月20日(火)
●会場にいた時間  約2時間
● 見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 私が一番に感じたことは、アメリカ軍の攻撃は、アメリカが勝った後のことまで考慮に入れられた、緻密な計画によるものだったということです。
例えば、アメリカは日本の歴史的遺産を避けて空襲を行っています。展示されていた資料から読み取れるように、京都、奈良などは、ほとんど空襲による被害を受けていません。前々から、京都などは歴史的遺産があるから、ほとんど攻撃されなかったということは聞いていましたが、これほどまでにあからさまだとは思いませんでした。また、アメリカ軍は皇居への攻撃を避けています。その他も、イギリス大使館はもちろん、戦後に使えそうな建物や横須賀港など一部の地域は攻撃されませんでした。
このように、場所を選んで空襲を行っているところから、アメリカ軍の余裕ぶりが伺えます。アメリカにとって、この戦争は、「勝つ」ことはすでに当たり前の戦争でした。なんでここまで差がついているのに、日本はさっさと戦争をやめなかったのだろうと不思議に思います。
 展示品の中で印象的だったのは、「ターゲット・マークシート」です。実際にこのシートを使って爆弾を落としていたのだと思うと、生々しく、背筋がぞっとしました。
今回の展示を見て、戦争になった途端、地図というのはとても軍事的な意味を持ち始めるのだと痛感しました。昔は地図が今のような平和な世の中では、とても思いつきもしない用途で使われていたと思うと、少し哀しいです。
 地図がずっと、私たちが友達の家やどこかに行く時のためだけに、使われて欲しいと思います。
31 ●行った日 12月20日(火)
●開場にいた時間 90分

 こんなにたくさんの爆弾が投下されていたなんて知りませんでした。空爆というと、一番最初に思うことは、広島、長崎の原爆です。その印象があまりに大きすぎて、東京の被害はあまり無かったのかと思っていました。23区別の被害の地図を見て驚きました。ほとんどが赤で塗りつぶしてあったからです。しかも、皇居や、英国大使館をのぞいて。アメリカはズルがしこいと思いました。戦争とは関係のない、市民たちばかりねらうなんて、酷いと思います。展覧会の中で一番衝撃的だったのは、やはり原爆の写真です。授業でも見ましたが、投下前と投下後の写真は、あまりにも別物で、何もなくて、一種の映画を見ているような気分になりました。こんなに非現実的なものを見ておきながら、よく広島・長崎と二つも原爆を落とせたものだ、と思いました。
 展示してあった写真は、どれも白黒、セピアのものだったので、遠い昔の出来事のように感じてしまいましたが、たった60年前のことなのかと思うと怖くなります。この60年で日本はすごく変わりましたが、次の60年で日本はどれだけ変わるのでしょうか。一度すべてを失った方が良いこともあるのではないか、と思いました 。
32  まず人的被害の統計を見て広島、東京の被害を知り驚いた。原爆だけでなく東京大空襲がそれと呼ばれる理由がわかった気がする。
 軍事施設が狙われ、そこで働いていた学生たちが命を奪われたというのが辛い。疎開などが行われていた中まだ工場に残っていたとは知らなかった。大人はどうでもよいというつもりはないが、共に地方へ行っていたらと・・・。
                                    
 9ヶ月経った後も瓦礫の山が広がっている写真を見て、復旧の大変さ、伴う居住の問題を思ったが、矢張り何よりも、家々とともに人が、原爆の被害を被ったのだ。原爆については、よく「間違っていなかった」と言う人が多いと聞くが、今回見た展示のカメラマンのように、二度と繰り返してはならないと考えてくれる人が多いと良い。
 空襲のように大規模でなくても今も世界で内戦や紛争は起こっている。海の向こうでも見た写真のように親を失った子供や、生活する場を持てない人がたくさんいるのかと思うと私は何をすればいいのかと考えてしまう。
33  私は太平洋戦争については学校でも習っていたし個人的に興味もあったので詳しいつもりだった。でもこの展示を見て何も知らないと思った。
 私にとって衝撃的だったのは、八王子は空襲で面積の8割を焼かれたと言うことだった。
 私は良く八王子に行ったりするのだが、今の八王子からはそんな事があったとは全く分からない。(当然と言えば当然だが)そして、八王子の赤く塗られた地図が何だか機械的で恐ろしく思った。
 次に私は写真を見た。
 アメリカのジョーオダネルという人が撮ったものだがその中の一枚に小さな男の子が死んだ弟をおんぶしているものがあった。私はその男の子を見て最初不思議に思った。彼は何故目の前のアメリカ人に怒りを見せなかったかと。そして、彼には怒りを見せる気力が無かったのではないかと思い当たった時私は戦争の恐ろしさを思った。
 様々な資料がこの戦争は綿密な計算のもとに始められ何を目的として、そして何が原因で負けたのかを語っている。しかしその時代を普通に生きた人たちには理由も目的も無く、ただ肉親や友を奪うだけの存在だったのだろう。赤く塗られた地図の分だけ悲しみや嘆きがあった。そしてそれは感情を超えるものなのだろう。
 このような戦争はもう起こしてはいけない。
34 ●行った日 12月21日(水)
●会場にいた時間 約100分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたことなど。

 展示の仕方としては、3月10日に東京に空襲があったとき の写真があったのだが、空襲の損傷を伝えるための写真である にも関わらず、空襲前の写真がなく、また当時の写真であるか ら白黒写真のため、被害の様子が伝わってこなかった。比較の 対照としてそういった空襲前の写真も掲示しておいてほしかっ たと思う。
 展示の内容は心打たれるものばかりであった。特に印象深かっ たのは私が中学生の時に社会の時間でも見たことがある、妹を 背にのせているまだ幼い少年の姿だ。空襲の後のがれきと土以 外何もないところに裸足で背をのばし、もう死んでしまった妹 を背に、きりっとたつ姿は中学生であった私の心にも深く残り 、そしてこんな幼い子供をも巻き込んだ「戦争」ということを 深く考えさせられた。   世界史の授業でやったことなのだが、どうやら「戦争」とい うものは、やられた方はいつまでも覚えているが、やった方は すぐに忘れてしまうものらしい。今、私はこうして日本で起こ った空襲を見たが、アメリカはどうなのだろうか。日本へのこ んな数々の攻撃を覚えてなんているだろうか。原爆の恐ろしさ を、つくった側の人間はわかってなんているだろうか。  「戦争というものは関係のない人たちまで巻き込んでしまう 」。こんなことを私はよく耳にする。
 しかし、私と共にこの展 示を見に行ったある人が言った。彼女はこのことをテレビで聞 いたらしい。あの米軍の言ったことである。「戦争は国同士で 始めたのだから、戦争に関係ない人なんていない。結局はみな 戦争に関係があるのだから、何がおこっても仕方がない。」。 ・・・今まで考えもしなかったことを聞き、私は驚いた。少し だけ、そうなのかもしれない、と思った。しかし、やはり「仕 方なかった」といったら、それで終わってしまう。何の解決に もならない。私たちは60年前に起きた悲劇が繰り返されない ように努めなければならないのである。
 「戦争」という悪夢は、私たちに様々なことを考えさせる。 そしてこの悪夢は人間の欲望がある限り、消えることはないだ ろう。私たちはこの永遠と続く悪夢の中で、平和とはなんなの かを考えなくてはならない。
35  ジョー・オダネルの写真は昔から興味がありました。不謹慎な言い方ですが、彼の撮る戦争の写真がとても好きです。
 というのも、彼の写真、彼の視点は他の写真と違って、自分がその場にいるような感覚になるからです。もちろん、ここに展示してあった地図や写真からも、戦争の様子はわかります。
 しかし彼の写真は軍事的だったり社会的だったりするものではなく、肌で、その現場を感じることが出来る、一人の人間の視点だから。寂しさや悲しさが伝わってきて、まるで自分もその戦争の被害者であるかのように、体験したかのように思えてくるからです。
 今まではテレビでしか彼の写真を見たことがなかったのですが、こうして見れて嬉しいです。
 今また戦争が起きようとしているこの時代、戦争の残酷さを思い出して欲しいと思いました。
36 ●行った日  12月20日(火)
●会場にいた時間 約90分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 今までにも戦争について、祖父母に聞いたりレポートを書いたりといろいろ調べたりしてきたけれど、それらの多くが東京や広島、長崎といったところが対象だった。しかし、この特別展には、47都道府県それぞれの被災した地図が展示してあり、はじめて自分の住んでいる地域の被災状況を知ることができたので、よかった。自分が住んでいる地域はさほど空襲をうけていなかったけれど、県庁所在地のところだけ赤く塗られていて、やはりこういうところは狙われるのだなと思った。

 また、展示場では実際に戦争を経験したという人のお話を聞くことができた。その方は、中島飛行場武蔵製作所につとめていた方で、何度も空襲を経験したそうだ。なのになぜ無事でいられたのだろうか、私は不思議に思ったが、その後次のように説明してくれた。よく映画などで飛行機から爆弾をばらばらと落とす映像があるが、あれはめったに目標物には当たらない。爆弾は地上に落ちるまでに、風の影響をうけてひとつひとつの間隔が200mほど離れてしまう。なので、中島飛行場武蔵製作所にあたることはなかったそうだ。
 何度も爆弾を落とされると、いくら怖いものでも慣れてしまうのだろう。そのうち空襲警報が発令されたくらいでは、何事もなかったかのように作業を続けるようになった。近くで爆弾が落とされたのを見て「さぁ、防空壕へ行くか。」という風な具合になってしまったそうだ。
 しかしそんな中島飛行場武蔵製作所にもついに爆弾があたり、その時の写真が展示してあった。その方は製作所から離れたところにいたため空襲はまぬがれたそうだが、一瞬にして尊い命がなくなってしまうのだなとあらためて思った。

 空襲の様子をあらわした地図や写真でところどころ被害をうけていないところがあり、ずっとなぜだろう。と、思っていたけれど、この方の話を聞いてようやく理解できた。展示物の説明もしてくださり、実際の戦争の話も聞くことができ、この日行ってよかったなと思った。

 ジョー・オダネル氏の写真は・・・言葉がでないほど衝撃的な写真ばかりだった。自分がまさに今その場所にいるかのような間隔にとらわれた。戦争の被害はいつも民間人であることをあらためて思い知らされた。なんて平和な世の中に自分はいるのだろう。。
戦争は二度とおきてはいけないものである。しかし世界中のあらゆるところで今もなお戦争や紛争がおこっている。なかには、日本の戦争より悲惨なところもある。子供兵士として、まだ小学生の男の子達が戦場に連れて行かれたりなど・・・。二度とこのような醜い争いがおこらない平和な世界になってほしいものだ。
37 ●行った日 12月24日(土)
●会場にいた時間 約100分
●見て感じたこと、思ったこと、考えたこと 等など

 今年は戦後60周年ということもあって、テレビや新聞で戦争のことは意識していたがこの展示を見て感じたことがたくさんあった。
 空襲の前後の様子を空からとらえた写真を見て、おどろいた。たくさんの建物や家が立ち並んでいたのに、それが一転と焼け野原となってしまっていた。それが日本のあちらこちらで起こっていたのである。一体何人の人が犠牲になり傷ついたのだろう。
 一番心に残ったのは「ジョーオダネル写真展」である。原爆により背中が焼きただれてしまった写真や耳が聞こえなくなってしまった子供の写真、焼き野原で死んでしまった弟を背中におぶっている男の子の写真など、どれも見たら心を痛めるような写真ばかりであった。写真におさめられたのはごく一部の犠牲者であり、他にもたくさんの人が亡くなり、傷ついたのだと考えると思わず言葉を失ってしまった。
 この展示を見て、戦争がどれだけ残酷なものか改めて認識した。私たちはこのようなことが二度と起こらないよう努力しなければならない、と思った。
38  普通の空襲の展覧会では、大抵が日本の被害を日本の側から説明したりしているものがほとんどだと思う。しかし今日行ったこの展覧会は「被害者であった日本」の姿と共に、「アメリカの標的であった日本」の姿が強く感じられた。おそらくそれはアメリカのとった多くの上空写真があったからだと思う。それらの写真は、小学校の歴史の教科書にのっている防空ごうよりも、きのこ雲よりもより凄惨な記憶として私の心に刻みつけられた。
 また、この展覧会のすごい点は最後の部屋にあった数々の写真から漂う悲壮感だ。決しておしつけがましく自らが被害者だと主張しているわけでも、誇示しているわけでもないのに、見ている側は胸がつまる。こんな写真は他の世界各国を捜し回ってもおそらくないであろう。おそろしく正確で、近代的であるアメリカが作った日本地図と、粒子の荒い白黒の、日本人被害者たちの写真。たった何枚かの紙である彼等から学び取るべき事はあまりにも深く、そして濃密であった。
39  「地図と写真で見る日本の空襲」展を見て思ったことはこれだけ多くの空襲を日本が受けていたとは知りませんでした。空襲なんて原爆と東京大空襲ぐらいで他の空襲はたいしたことないと思ってました。他の空襲も被害がすごいあって数も沢山ありました。一番最初の小さな展示場だけだと思っていたらその何倍もあって驚きました。(親切な係員さんが説明してくれました。ありがとうございます。)
空襲のあとは前に建物の影とかがあったのにまっさらになっていてもし今住んでいるところが空襲にあったらと思うと怖いです。多分自分はしんじゃうと思いました。多分これらの写真をとったのは飛行機にのっていたアメリカ人カメラマンだと思います。そのカメラマンや空襲した人達は何も思わなかったのかな、こんなの間違っていると思わなかったのかなと思います。
 アメリカ人カメラマンがとった写真とコメントが展示されているところがありました。そこてカメラマンはすごくかなしんでいてその気持ちが展示場に訪れた人がみんなわかってあげれるといいです。あんないたそうなやけどをする人はもうでないでほしいです。
 出口の近くでやっていた「映像の世紀」のビデオもガンジーが頑張って争いがおこらないようにしてて最初から見たかったです。(時間の関係で途中からでした。)
40 ●12月19日(月)
●約100分

 「地図と写真で見る日本の空襲」展を見て今までよ り“戦争”というものを身近に感じたような気がしました。
 空襲などの被害は教科書などで見た事は あったけれどそういう事があったんだという事実でしか受けとめていなかった気がします。アメリカ は1年も前から日本の上空からの写真をとっていたり、ターゲットワークシート(無傷の建物を黒です でに倒れてしまった建物は白で表してある地図)という地図を作っていたりしてちゃくちゃくと的確 に計画を進めていたのだなと思いました。
 また図書館の方で展示してあった“豊川海軍工廠大空襲” (日本の海軍の兵器を作っていた所)では建物が小さく分散していて屋根が破壊が広がないような作り になっているため500ポンドもの直撃爆弾を使ったた書いてあり場所の特徴などまで調べて使う爆弾 などを考えている事に驚きました。
 空襲前、空襲中、空 襲後の写真がならべておいてあって町が一瞬にしてほとんど消えてしまった事がわかり戦争というも のの惨さが伝わってきました。
 ジョー・オダネル写真展では耳が聞こえない子の写真や、死んでしま った弟を背中にせおい立っている少年の写真などがあり戦争の悲惨さがわかりました。

 今の私にとっ てはほんの少し前まで一緒にいた人や家族が死んでしまったり、離れ離れになってしまうなんて事は 考えられません。今生きている私たちは幸せなのだなぁと思いました。兵士が押すボタン1つでこの ような事が起きてしまうなんて信じられません。昔の戦いなどと違って遠くから遠隔操作で攻撃でき てしまうので兵士がゲーム感覚でやってしまっていく恐れがあってとても恐いです。
 この戦争によっておこってしまった事をちゃんとみつめ直す事が大事だと思いました。
 また展示会では実際に戦争を体験している方々が当時の事を思い出してか深いため息をついていたのが印象に残っています。きっと辛い思いをしたのでしょう…しかしこのように記録が残っている事により私たちも当時の様子を知る事ができるし、今平和に暮らしている日本の人々の命を奪ってしまった空襲の恐ろしさが伝わってきます。そしてこの事は事実としてこれからも次世代の人々にも伝えていかなければいけない事だと思いました。
 二度とおきてはならない事でありと受けとめるとともに、日本も空襲の被害にあ ったという現実を受けとめながら今後の世界の平和を祈りたいです!!
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